石見銀山遺跡の範囲

海から見た石見銀山(西から
海から見た石見銀山(西から)

)銀山柵内(上空から見た仙ノ山)
銀山柵内(上空から見た仙ノ山)

石見銀山の範囲

 

銀鉱山跡と鉱山町

16世紀前半から20世紀前半にかけて操業された銀鉱山の開発の諸様相を良好に残す鉱山本体と、それに伴って発達した鉱山町および支配関連の山城跡。

(1) 銀山柵内(さくのうち) 16世紀前半から本格的に開発され、20世紀前半まで操業された銀鉱山遺跡の本体。江戸時代初め、柵で厳重に囲まれていたことからこの名がある。銀の生産活動はもちろんのこと、生活・流通・信仰・支配に関わる遺構・遺物が良好に残る。
(2) 代官所跡 17世紀に銀山柵内から大森地区に移転した石見銀山支配の中枢施設跡。
1800年頃再建された表門・門長屋の建築遺構が残る。
(3) 矢滝城(やたきじょう)跡 石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、温泉津沖泊道が近くを通る。中世山城の立地・形態をよく留める。
(4) 矢筈城(やはずじょう)跡 石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、温泉津沖泊道を挟んで矢滝城と対峙する。中世山城の立地・形態をよく留める。
(5) 石見城(いわみじょう)跡 石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、仁摩(にま)方面に出る街道沿いを守備する。中世山城の立地・形態をよく留める。
(6) 大森銀山(おおもりぎんざん)重要伝統的建造物群保存地区 鉱山に隣接して発展した、江戸時代幕府直轄地の石見銀山附御料(つきごりょう)150余村の中心町。武家・商家の旧宅や、社寺などが混在してよく残る。昭和62年の国選定。

(7) 宮ノ前(みやのまえ)地区

大森地区の代官所跡近くで発見された、16世紀末〜17世紀初頭の銀製錬工房跡。
(8) 重要文化財熊谷家(くまがいけ)住宅 大森地区における最大規模の商家建築。有力商人の地位や生活の変遷を最もよく示している。
(9) 羅漢寺五百羅漢(らかんじごひゃくらかん) 岩盤に3つの石窟を穿(うが)ち、石造の三尊仏と羅漢坐像500体を安置する。18世紀中頃の制作で、石見銀山の石造物文化を代表する信仰遺跡。

 

 

街道(石見銀山街道)

石見銀山から二つの港湾に向けてつながる、銀・銀鉱石と諸物資の輸送路。

(10) 鞆ケ浦道(ともがうらどう) 鞆ケ浦が銀・銀鉱石の積出港として機能していたときに利用された全長約7kmの街道。
(11) 温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう) 石見銀山の外港であった温泉津・沖泊と柵内を結ぶ全長12kmの街道。17世紀初頭に尾道(おのみち)道が開発された以降も銀山と港を繋ぐ幹線路であった。

 

 

港と港町

石見銀山で産出した銀・銀鉱石の積み出しに利用された二つの港湾と、これに隣接して発達した港町および港湾集落。

(12) 鞆ケ浦(ともがうら) 16世紀前半から中頃にかけて銀・銀鉱石を博多に積み出した港。船の係留用に自然の岩盤をくり抜いた鼻ぐり岩などが中世港湾を彷佛とさせる。繁栄した頃の土地利用を引き継ぐ集落景観も貴重である。
(13) 沖泊(おきどまり) 主に16世紀後半の約40年間、銀の輸送や、石見銀山への物資補給、軍事基地として機能した港。二つの城跡や鼻ぐり岩などが往時を偲ばせる。温泉津と一体となって歴史を重ねた場所であり、集落は往時の土地利用を今に引き継いでいる。
(14) 温泉津(ゆのつ)重要伝統的建造物群保存地区 石見銀山の外港として発展した温泉のある港町。江戸時代以来の町割りをよく残し、町屋、廻船問屋、温泉旅館、社寺等の伝統的建造物がよく残る。
平成16年、温泉町としては日本で唯一の国選定を受けた。

 

 

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