石見銀山の見どころ

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大森銀山伝統的建造物群保存地区

大森の町は1600年代前半から、石見銀山の行政と商業の中心地として機能してきました。江戸幕府を開いた徳川家康の命により建てられた奉行所の周辺に商人や侍が移住し、町が整備されました。
多様な町の景観
大森の町は比較的狭い谷に発達した結果、侍や商人、一般人の家、そして寺社が密集して混ざり合った都市構造になりました。
これは、社会階級ごとに隣接する別の区域に住むのが常だった封建時代の日本には珍しいことでした。町の大部分は1800(寛政12)年の大火で失われましたが、この土地の利用の仕方は継続し、大森の特徴となっています。町の中を歩けば、ほとんどの商家や長屋が大通りに面しているのに対し、武家屋敷や豪商の屋敷には家屋と道路の間に塀と庭があるのを目にするでしょう。
赤瓦と梅の木
大森の町は多くの屋根で使われている赤瓦でも有名です。この地域で見つかった鉄分の豊富な粘土で作られるそれらの石州瓦(石州は石見地域の別名)は、中国地方のいたる所で使われています。大森の町を見渡せば、比較的大きな建物の屋根は、いぶし瓦(灰色)であるのに気づくでしょう。そのような建物はたいてい、伝統的な武家屋敷か行政施設です。灰色の瓦は権威の象徴として、武士階級に好まれていました。
町の景観のもう一つの特徴は、梅の木です。その多くは、銀山がまだ活発だったころに植えられました。坑夫たちは梅干しの中のクエン酸が、ほこりっぽい坑道の中で呼気を保つ効果があると信じていました。そのため彼らは坑道に入る時、マスクの中にその果肉を挟んでいたのです。
現代の大森を訪れる
町並み保存地区に選定された大森の町は、良好な景観が保たれていますが、古い建物の一部は革新的な用途で使われています。その良い例が、ショップ・カフェ・ギャラリーの群言堂です。ここでは衣類や地元の食べ物を購入したり、手工芸品を見たり、座って庭を眺めながらランチや軽食を食べることができます。
大森は住民のプライバシーと生活を尊重する限り、訪問者を迎えてくれる歴史ある町です。家の敷地内に入ったり、許可なく住民の写真を撮ったりするのはおやめください。