石見銀山の価値

石見銀山とは

石見銀山遺跡は島根県のほぼ中央に位置し、石見銀の採掘・精錬から運搬・積み出しに至る鉱山開発の総体を表す、銀鉱山跡と鉱山町、港と港町、及びこれらをつなぐ街道と山城から成っています
この遺跡は、東西世界の文物交流及び文明交流の物証であり、伝統的技術による銀生産を証明する考古学的遺跡及び銀鉱山に関わる土地利用の総体を表す文化的景観としての価値を持っています。
ここでは、石見銀山を4つのエリアに分けて説明します。

1.銀鉱山跡エリア

16世紀から20世紀にかけて採掘から精錬まで行われた跡が残る石見銀山遺跡の中核です。銀山柵内と呼ばれた銀鉱山跡は、数多くの採掘跡やこれに近接して一体となる作業場跡等の生産・生活関連の要素、神社・寺院等の信仰関連の要素、山吹城跡・柵列跡・番所跡等の支配関連の要素など、相互に関連しあう諸要素がよく残り、独特の土地利用の在り方を示しています。

<構成資産>銀山柵内

2.鉱山町エリア

鉱山の麓の谷間に細長く存在するかつての鉱山町が残ります。鉱山町は南北約2.8㎞の歴史的な町並みであり、北側の大森地区と南側の銀山地区の2つの地区に区分されます。大森地区には武家・商家・寺院など、様々な身分や職業の人々が混在して居住する町並みが展開し、銀山地区には当時人々が集住したかつての町場の地割の跡や寺院などの信仰の痕跡がよく残っています。

<構成資産>銀山柵内、代官所跡、大森・銀山、宮ノ前、熊谷家住宅、羅漢寺五百羅漢

3.街道・山城エリア

銀鉱山・鉱山町と港・港町を結び、銀及び銀鉱石並びに諸物資の輸送路として機能したのが街道です。銀山が開発された16世紀前半に、銀山から鞆ケ浦に向け運搬路とされたのが総延長7.5㎞ほどの石見銀山街道鞆ケ浦道であり、16世紀後半に銀山から沖泊に向け運搬路とされたのが総延長約12㎞の石見銀山街道温泉津・沖泊街道です。2つの街道には、通行を容易にするための道普請の跡がよく残るとともに、道中には運搬に関係した伝承地、通行者や周辺住民が通行安全や病気平癒を祈った信仰関連の石碑・石仏などが点在して残ります。
また、銀山と街道の周囲に点在する城跡は、石見銀山支配をめぐる攻防戦が行われた重要な城であり、日本における中世山城の構造的特徴をよく表しています。

<構成資産>石見銀山街道鞆ケ浦道、石見銀山街道温泉津・沖泊道、矢滝城跡、矢筈城跡、石見城跡

4.港と港町エリア

石見銀及び銀鉱石の積出港が鞆ケ浦と沖泊であり、それに伴って港町として発展したのが温泉津です。鞆ケ浦は、石見銀山が開発された16世紀前半に当時の国際貿易港博多に向けて銀及び銀鉱石を搬出した港です。沖泊は、石見銀山を毛利氏が支配した16世紀後半に銀を搬出した港です。また、温泉地でもあった温泉津は、16世紀後半には沖泊と一体となって銀山で消費される諸物資の搬入地となり発展しました。
 これらの港・港町には深い湾とその奥の谷間を最大限に利用した土地利用の工夫がみられ、往時を偲ばせる船舶の係留装置や歴史的に関わりのある神社、寺院、伝承地があるほか、谷筋には街路に沿って16世紀以来の集落の土地利用形態がよく残されています。

<構成資産>鞆ケ浦、沖泊、温泉津

世界遺産登録2007年7月
世界遺産の範囲拡大(軽微な変更)2010年7月
登録範囲529.17ヘクタール
緩衝地帯面積3,133.83ヘクタール
価値基準 ⅱ・ⅲ・ⅴ